鳥取砂丘
皆さんご無沙汰です。2年半前に女房・娘・孫 3者連合軍に高齢を理由に車の廃車通告を突き付られ不承々々軍門に降りましたが・・・・・・。
その後我家の状況は急変。バアちゃんがアスベストによる中皮腫発症で治療のため運転手の需要が生じました。
止むえず小生が老骨に鞭うって再出馬。病院への送り迎え・買い物への同伴・墓参りへのガイド等 車が必要になってきました。
そのような事情でコンパクトカー プリウスを購入。先日納車されましたので試運転を兼ねて鳥取砂丘までドライブ。 ついでに念願していた砂丘の風景を撮ってきました。
私は20歳代からアナログ運転の浦島太郎。デジタル機器満載車の操作にはなかなか慣れませんが安全運転に心がけています。
俳句も添付してデジブックにアップロードするつもりでしたが、化石老人のボケ頭では発句がままなりません。
写真は画像処理しましたが、添付する俳句が表現出来ませんので空白のままです。。
皆様方へお願い!!
俳句空欄の写真に番号を付けましたので皆様方の新鮮なセンスで1句捻って頂けませんか?
薄謝は進呈できませんが発句者のお名前で発表させて頂きます。
如何ですか? 小生を助けると思って1句をお願い申し上げます。
下記URLは鳥取砂丘のデジブックです。画面をクリックして大画面でご覧下さい。
(上) 鳥取砂丘風景
(中) 暑い熱砂のショット
(下) プリウスとぼけ老人の自画像
大阪港 舞州ゆり園
6月19日 大阪港舞州(マイハマ)の百合園を訪ねました。
200万本の百合の花が咲き乱れている大阪北港の新しい埋立地です。
大阪湾沿いが一望の景観地です。訪ねた今が満開の見ごろの季節でした。
大阪でこれだけ壮大で広大な百合園を目にできるなんて驚きです。
遠く大阪湾と六甲の大パノラマ。 色とりどりの百合の花々を楽しみました。
65年くらい昔。この辺りは大阪湾の深い海の底。地名は出来島と言われ戦時中にB 29が投下した爆弾の爆発跡がそのまま掘りっ放し。
阪神伝法線の小さな壊れかけた駅から 神崎川沿いに海の方へ1里くらい喘ぎながら歩いてやっと鄙びた海辺に出ました。
子供たちは手製の粗末な竹竿とミミズを入れたアルミの弁当箱を持ってボラや小魚を狙っていました。
遠い昔の消えかかったセピア色の記憶です。
現在は”阪神電車西大阪線” 堂々としたコンクリートの巨大高架橋。 姫路から名古屋まで直通可能な阪神電車の大幹線です。
舞州の玄関口には エキゾチックな巨大なトルコ風の建物があります。大阪市塵埃処理工場です。
まず工場の景観に驚かされ、続いて予想もしなかった美しい広大な花園に魅せられ、花の美しさに酔わされた一日でした。
デジブックです。下手な写真と俳句。ご覧に供します。
撮っても撮っても美しい花々。皆様のお目にかないそうな画像の選択。それから削除につぐ削除。
それでもいつもより多い31枚もの画像をアップロードしてしまいました。
http://www.digibook.net/d/a7448fffa19c824ca76e19f518fba916/?viewerMode=normal&isAlreadyLimitAlert=true-
西ノ京 苔の寺 西芳寺
4月16日 西ノ京 西芳寺を訪ねました。
60年ぶりの訪問でしたが、昔は門前の土産物店が大声で参拝客を呼び込み合い賑やかで騒然としでいました。
今は予約制になりましたので、訪れる観光客も少なく静かな雰囲気です。
毎回許可参観者は100名くらい。庫裏に入ると先ず写経と住職の講話があり、庭園の散策はそのあとです。
西洋人の入園者が多く英語よりフランス語の方が幅を利かせているようです。
お隣の嵐山 嵯峨界隈の寺院と較べて静けさは格別。写真も大勢の観光客に邪魔されずゆっくりと撮る事ができました。
西芳寺は室町時代の高僧 夢想疎石師 作庭の名園です。境内の一円に広がる苔は長い歴史から積み上げられた厚い重層の苔庭です。
夢想疎石の庭は天龍寺などに枯山水や池泉回遊の鎌倉式の庭園が各地に残されています。 境内の雰囲気も静寂にして壮大。
観光客の少ない境内で色々な位置から好きな角度でシャッターを押しまくりました。
家に帰ってから写真の整理。撮影枚数は150枚超えていましたが、自画自賛!! すべてが見事に撮影ができ感激の極みでした。
その中から50枚くらいに選択してトリミングや画像加工。更にデジブックやブログにアップロードできる作品を30点くらい選択。残りは削除。
カメラを握って写真を撮り歩くのも楽しいひと時ですが、パソコンで画像処理をする時間も これまた楽しいひと時です。
それに拙い俳句をひねり倒している時間。体力の弱った年寄りの時間つぶし、脳細胞の劣化に無駄な抵抗をしているボケ老人です。
皆さん方へのお笑い草としてご笑覧に供します。今回はいつもより若干多く30枚をアップロードしました。
http://www.digibook.net/d/c2158593b09a8a9121a50b73d6e2a804/
京都の春 花見三昧
春 本番 啓蟄の炬燵に足を突っ込んだままゴロゴロして居ましたが、ようやく冬眠から完全に覚醒。
満開の桜に誘われて穴から抜け出しました
4月6日 元勤務先OB会の"歩こう会"。京の四条通りから鴨川沿いに出町柳。
下賀茂神社から植物園、比叡山を眺めながら松崎町の桜並木から高野川。そして出町柳で解散。
花三昧 春の1日でした。
デジブックです。人の映り込みが多く醜い画面ですが、Adobe Photoshop でトリミング。
写真25枚と拙い俳句。 ご笑覧に供します。
http://www.digibook.net/d/51c4e37b811ba0d839a08b535cf32912/
春風や 堤長うして 家遠し
与謝野蕪村 写実的な俳句と江戸中期の代表的な文人画で知られています。
4月1日 満開の桜で毛馬堤が埋まる春爛漫の時を楽しみました。
毛馬村は 与謝野蕪村の故郷、現在の大阪淀川毛馬閘門です。
近くには飛鳥時代の”父は長柄の人柱 雉も鳴かねば うたれまい”と歌で知られる長柄橋があり、対岸は平家物語で知られる江口の里です。
淀川の地勢は市内に入る前に毛馬で大きく回り込んで市内に入りますので、橋や町が度々の大洪水で沈みました。
淀川毛馬閘門は江戸時代から度々大改修されてきましたが洪水の恐怖は無くなりませんでした。
明治の文明開化と西洋の土木工事が導入され、煉瓦つくりの堰堤と洗堰で淀川から大川に流れ込む水閘門が完成してから市内は洪水に浸かる心配は無くなりました。
デジブックです。下手なアルバム(写真26枚 閲覧時間4分くらい)と噴飯ものの俳句。ご笑覧下さい。
http://www.digibook.net/d/1a04ab3f91de82dd3542936396f22806/